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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)7972号 判決 1993年4月13日

原告

岡田健志

被告

清水智明

ほか一名

主文

一  被告らは、連帯して原告に対し、一〇一六万六二三八円及びこれに対する平成三年一〇月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その七を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、各自三二五〇万円及びこれに対する平成三年一〇月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、普通乗用自動車が左方に進路を変更した際、同車線を走行中の自動二輪車と衝突し、同二輪車の運転者である歯学部学生に対し、右橈骨小軟骨折等の傷害を負わせた事故に関し、右被害車が右自動車の運転者及び保有者に対し、民法七〇九条及び自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき損害賠償を求め提訴した事案である。

一  争いのない事実

1  事故の発生

次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 日時 昭和六三年一〇月一一日午後九時一〇分ころ

(二) 場所 京都市南区吉祥院車道町四八番地先国道一七一号線路上(以下「本件事故現場」という。)

(三) 被害車 原告運転の自動二輪車(京都左ち五八二〇、以下「原告車」という。)

(四) 事故車 被告清水智明(以下「被告智明」という。)が保有し、かつ、被告清水政昭(以下「被告政昭」という。)が運転していた普通乗用自動車(大阪五八る九四六〇、以下「被告車」という。)

(五) 事故態様 被告車が左方に進路を変更した際、左方を直進走行中の原告車と衝突したもの

2  責任原因

被告智明は、被告車の所有者であり、その運行支配を有し、運行利益の帰属者であつたから、自賠法三条に基づき、また、被告政昭は、同車の運転して左に進路を変更するに当たり、自車左側を走行する車両の有無及びその安全を確認して進路を変更すべき注意義務があるのにこれを怠つた過失があるから、民法七〇九条に基づき、それぞれ本件事故により原告に生じた損害を賠償する責任がある。

3  損益相殺

本件事故により生じた損害に関し、次のとおり合計三七七万円の支払いがなされた。

(一) 自賠責保険からの治療費の支払い 八二万八一〇円

(二) 同保険からの後遺障害損害の支払い 二一七万円

(三) 同保険からのその他の支払い 三七万九一九〇円

(四) 被告らの原告に対する支払い 四〇万円

二  争点

1  過失相殺

(被告らの主張)

本件事故の発生には、原告にも前方不注視の過失があるから過失相殺がなされるべきである。

2  原告の右手指の受傷・後遺障害と本件事故との因果関係

(被告らの主張)

原告が本件事故により受けた受傷内容は、全身打撲、両下肢擦過傷・挫創、右橈骨骨頭剥離骨折等であり、その傷害部位は、右大腿、右膝、左下腿、右肩、右肘部であり、本件事故後、手指や手首の痛みが生じた形跡はない。原告は、原告本人尋問において、被告車との衝突の際、右手を伸ばして防ごうとしたと供述するが、かかる供述は、当法廷においてはじめてなしているものであり、それ以前にはない供述であるばかりでなく、衝突時には自動の安定を図り、衝突を避けるためブレーキ操作やハンドル操作を行うのが普通の行動であるのに、片手運転をしたことになり、不自然であり、信用できない。

仮に、原告が右手をあてがつて被告車を避けようとしたとしても、それに引き続きブレーキ操作やハンドル操作を行つていることからすると、それにより右手が損傷することなどあり得ないし、また、原告が本件事故直後手を動かしたところ、手指は動いていたのであるから、右手を伸ばした時に手指を損傷したというのは、到底信用できるものではない。

原告には長い間手を使うとしびれ感が出現するという既往症が存在し、現在もその痕が瘢痕として残つている。原告の尺骨神経麻痺は、正にその瘢痕部分の尺骨神経の損傷から生じているのである。原告は、本件事故による治療が終了してから約四か月半後の平成元年五月一九日、刀根山病院への通院を開始し、平成二年一月二九日に阪大病院で手術を受けているが、右尺骨神経麻痺は、主に同手術後生じたものであつて、右既往症が進行性のものであり、右手術により進行が加速されたものである。

したがつて、原告の平成元年五月一九日以降の治療に基づく慰謝料、原告の後遺障害に基づく慰謝料・逸失利益は、本件事故との因果関係がない。

(原告の主張)

本件事故は、原告車の右側を同車と同方向に進行していた被告車が、車線を変更し、原告車に右側から覆いかぶさるように衝突してきたものである。原告は、衝突を避けようとして急ブレーキをかけると共にハンドルを左に切つたが衝突が回避できず、とつさに被告車の助手席横の窓ガラスに右掌をついて、右手を強く突つ張つて身体が衝突するのを避けようとしたが結局避けられなかつたものであり、この時右掌に強い圧力が加わり、さらにこれを支えた右手根部に強い力が加わつたため右尺骨神経を損傷したものである。

原告は、本件事故後、昭和六三年一〇月一一日、救急車で明石病院に運ばれそのまま入院し、同月一三日刀根山病院に転院したが、同表院に診断書、看護録によれば全身打撲とされているのであり、打撲部位を特定し難い程、全身のあちこちを打撲していたのである。原告は、本件事故直後、身体の震えも激しく、ほぼ全身を打撲し、全身のあちこちに痛みを感じ、とりわけ右肘関節、右肩に強度の痛みを感じていた。明石病院ではわずか二晩入院したただけであり、右肩、右肘関節等右腕に痛みが激しかつたのに対し、右手首の痛みはそれらと比べれば軽度であつたため取り立てて訴えなかつたのである。刀根山病院では、同日の入院後、直ちに右上腕から右手背までギブスを巻かれたが、翌一四日には、右手を動かすと上腕がひきつる感じがすると訴え、その後退院の直前まで、右手指に関して断続的にしびれ感を訴えている。また、同月二〇日以降、右手関節痛等を訴え、同月二四日には、担当医師から、右手関節の運動をせず、右手関節を固定して手指の屈伸、ボールを握つての等尺性運動をするよう指導を受けている。原告は、同年一一月四日、刀根山病院を退院後、平成元年一月五日まで同病院に通院したが、その後、期末試験、旅行、大学の実習講座等のため通院ができず、同年五月一九日から漸く通院を再開できたのである。その後の同病院における診療録、診断書、治療証明書には、内転筋萎縮、尺骨神経部知覚減退、右手根圧痛、右尺骨神経麻痺等が記載されている。原告は、同年一二月一〇日、阪大病院に通院を開始し、原告の尺骨神経麻痺は、右尺骨神経管部が右手関節やや近位の外傷瘢痕のある場所からその遠位方向、手根部までの間で部分的に連続を絶たれたためと診断され、平成二年一月二九日、原告の手根部を切開し尺骨神経を縫合する外科手術を受けた。この手術後、経過観察がなされた結果、平成二年九月一二日、右尺骨神経麻痺による右手の環・小指のClaw変形、小指内転不能、知覚鈍麻、握力・ピンチ力低下という後遺障害が残り、同日、症状が固定したのである。

原告の既往症は、四歳ころ、ガラスで右手関節部を切り、右尺骨神経を損傷し、右手小指が内転しにくい、長時間右手を使うと右掌の血行が悪くなり違和感を覚えるということがあつたが、前者は小学校高学年で、後者(これが前記既往症によるものか否かはともかく)は高校在学中に、それぞれ解消しており、少なくとも前記右手の環・小指のClaw変形、小指内転不能、知覚鈍麻、握力・ピンチ力低下などの症状が出たことはなかつたのである。

したがつて、前記後遺障害が本件事故により生じたものであることは明らかである。

第三争点に対する判断

一  過失相殺について

1  本件事故の態様

(一) 前記争いのない事実に加え、後掲の各証拠及び原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

本件事故現場は、別紙図面のとおり、東西に通じる片側二車線(幅員計七・六五メートル)の道路である国道一七一号線(以下「本件道路」という。)上にある。本件道路の西行車線の北側には〇・八メートルの中央分離帯があり、さらに、その北側には東行車線がある。本件道路は、市街地にあり、制限速度が時速五〇キロメートルであり、終日駐車禁止・転回禁止・歩行者横断禁止であり、交通は普通であり、本件事故現場付近は夜間の照明がなく暗い。本件道路の路面は、平坦であり、アスフアルトで舗装され、本件事故当時乾燥していた(乙第一号証)。

被告政昭は、昭和六三年一〇月一一日午後九時一〇分ころ、被告車を運転し、本件道路の西行車線の南端から一車線目を時速約四〇ないし五〇キロメートルの速度で西進中、自宅に電話するため公衆電話を探していたが、見つからなかつたので左側端に寄り、停車しようと考え、方向指示器による合図をせず、かつ、左方の安全を確認しないままハンドルを左に切り、進路を左に寄せた。原告は、本件道路の西行車線の南端から一車線目の左端を時速約五〇キロメートルで西進中、自車の右前方を若干蛇行しながら走行していた被告車を追い越すため、同車に併走しかけたところ、同車が突然左方に進路を寄せてきたため、急制動の措置を構ずるとともにハンドルを左に切つたが及ばず、被告車と衝突し、衝突地点から約一五・四メートル離れた地点に転倒した。右衝突の際、原告は、とつさに右手を被告車の助手席窓ガラス付近に伸ばし、同車を押しやる動作をしたが、それにより右手首を痛めた、また、右衝突により、被告車には、左前輪ホイル擦過、左前バンパー擦過、左ボデー擦過等の損傷が、原告車には、前輪ホーク曲り、前泥よけ、前照灯枠割損の損傷が生じた(甲第一一号証の一ないし第一二号証の二、乙第一号証ないし第三号証、原告本人尋問調書五、五一項)。

(二) なお、被告らは、捜査段階に作成された右書証上、原告が右手を伸ばし、被告車を押しやる動作をした旨の記載がなく、原告がハンドル操作をし、ブレーキをかけ、かつ、かかる動作をするなどということは不自然であることなどとして、原告の右手を伸ばし被告車を押しやる動作をしたとの供述は信用できないと主張する。

しかし、後述するように、本件事故直後、原告の右手の負傷は他の負傷部位と比較すると軽微であり、受傷直後、とりたてて問題とすべき状況はなかつたのであるから、捜査段階においてこの動作について論及がないことをもつて、直ちに不自然とまでは認め難い。また、ハンドル操作やブレーキ操作との関連は、これら動作と同時にあるいはこれら動作に先立つて被告車を右手で押しやる動作をしたとするなら不自然であることは否めないが、かかる右手で押しやるという動作は、事柄の性質上、衝突の直前、すなわち、ハンドル操作やブレーキ操作による衝突の回避措置が効を奏さなかつた後にしかなし得ないのであり、ハンドル操作、ブレーキ操作の後、かかる右手で被告車を押しやる動作をすることが(その衝突回避措置としての適否はともかく)物理的にみて不自然なわけではない。したがつて、被告らの前記主張は、採用しない。

2  過失相殺の可否についての判断

右事故態様に関し、被告らは、原告にも前方不注視の過失があるから過失相殺がなされるべきである旨主張する。

しかし、前記認定の事故態様によれば、被告政昭は、方向指示器による合図を何ら行わず、しかも、左後方の安全を何ら確認しないまま進路を左に変更したものである。他方、原告にとつて、被告車が若干蛇行運転していた事実は認識していたとはいえ、同車が方向指示器による合図をしないまま、追い越しのため原告車が併走した途端、突如、その進路を妨げる程左に進路を変更することを予見することは困難である。

原告について非難すべき事情が皆無とまではいえないが、方向指示器を出さず、左方の安全を全く確認しないまま本件道路左端に停車するため左に進路を寄せた被告政昭の前記過失態様と比較すると、原告の過失は著しく軽微なものにとどまるいうべきであり、本件事故の発生に関し、原告に過失ありとして過失相殺することは相当ではない。

したがつて、被告らの右主張は採用しない。

二  原告の右手指の受傷・後遺障害と本件事故との因果関係

1  原告の受傷内容とその後の治療・診断経過

前記争いのない事実に加え、後掲の各証拠及び原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 明石病院に入院時(昭和六三年一〇月一一日から同月一二日まで)の治療経過(乙第一〇、第一一、第二八、第二九号証)

原告は、昭和六三年一〇月一一日、本件事故に遭つて後、救急車で明石病院に搬送され、外来で処置を受けた上、全身打撲、両下肢擦過傷・挫創、右橈骨頭剥離骨折との診断を受け、同病院に入院した。原告は、右膝に多量の出血、膝・右肩に激しい疼痛があり、右肘は屈曲・伸展不可であり、歩行不能の状態であり、右肘の屈曲伸展も不可であつた。なお、同病院で包帯交換した部位の中には、右大腿、右膝、右足関節の他、右第三指、同第四指が含まれている。

(二) 刀根山病院に入院時(昭和六三年一〇月一三日から同年一一月四日まで)の治療経過(乙第三一号証)

原告は、昭和六三年一〇月一三日、刀根山病院に転院し、整形外来で右上腕から手背にかけてギプスで固定した上、右橈骨・小頭骨折、両下肢挫創等の診断を受け、同病院に入院した。原告のその後一週間の身体的状態は、手指の自動運動はできるが、右上腕に強度の疼痛、左頸部、右肩、右下肢全体等にも疼痛があり(同日)、右下肢全体の疼痛、上腕・右肩痛と右手指を動かすと上腕がひきつる感じがあり(同月一四日)、創部痛・右前腕痛はないが右下腿痛は持続しており、右手指にしびれ感や腫脹はなく(同月一五日)、右下肢運動時に疼痛があり、右手指に軽度のしびれ感があり(同月一六日)、両下肢縫合部の疼痛、右膝内側痛、右下腿の知覚鈍麻、しびれ感はあるが、右小指のしびれ感はなく(同月一七日)、右膝内側痛があり、右手指のしびれ感はないが、ギプスの当たり具合で環指・小指にしびれが生ずる時があり(同月一八日)、右下肢の疼痛はあるが右手指のしびれ感はない(同月一九日)というものであつた。

そして、症状が出たり出なかつたりという状況であつた右手ないし同手指の状態のその後の推移をみると、原告は、昭和六三年一一月四日、同病院を退院するまで、しびれ感がでない日もあつたが(同年一〇月二四日、同月二五日)、右手第五指に一時しびれ感が生じ(同月二〇日)、右前腕の疼痛があり、手指も動かさないように言われていると看護婦に述べ(同月二四日)、右示指の爪が根を残したままほとんど剥がれており、出血はないが痛みがある(同月三一日)との内容であつた。

(三) 刀根山病院に通院時(昭和六三年一一月五日から平成元年一月五日まで及び平成元年五月一九日から同年一一月一三日まで)の治療経過(実通院日数一七日、乙第一四、第一六、第一八、第二〇、第二四号証、第三二号証)

原告は、同病院を退院後、昭和六三年一一月五日から平成元年一月五日まで同病院に通院し治療を受けたが、その間の右手の状態は、右手でこねる動作をする時や前腕の前回外運動時に痛みが生じ(昭和六三年一一月一七日)、右前腕を振ると右肘に痛みが生じ、全屈曲、前回外運動時に痛みが生じ、橈骨骨頭に圧痛があり(同月二七日)、右肘の運動痛はあるかないかという状態だが、伸展時圧痛がある(平成元年一月五日)というものであつた。

原告は、その後、通院を中断したが、同年五月一九日、同病院への通院を再開した。右再開直後の原告の右手の状態は、実習時に右手根に痛みが生じ、右手の内転筋が萎縮しており、尺骨部の知覚が減退し、事故後右手内転が困難となつたと述べ(同日)、右手小指球に萎縮がみられ、右環指小指のしびれはないが尺骨神経に軽度の麻痺がみられた(同年六月二日)。その後、原告には、右手手根部の圧痛等は認められないかあるかどうかあつてもさほどの状態ではないが(同月八日、同月二二日、同年七月六日、同月二〇日、同年九月二一日等)、実習などで手を使うと強い痛みが生じ(同年六月二二日)、右尺骨茎状突起付近に痛みがあり右手をこねる動作ができない時がみられた(同年九月八日、同月二一日)。以上の治療経過を踏まえ、原告は、同病院の主治医により、右尺骨神経麻痺との診断を受けている。

(四) 大阪大学医学部附属病院(以下「阪大病院」という。)に通院時(平成元年一二月二〇日から平成二年九月一二日まで)の治療経過(実通院日数九日、甲第三、第四号証、乙第三三、第三四号証)

原告は、大阪大学歯学部の学生であつた関係もあり、平成元年一二月二〇日、阪大病院に通院し、治療を開始した。原告は、初診時、右尺骨神経麻痺であり、具体的には、右手の尺骨神経が異常であり、内転筋・小指球が萎縮し、痛覚・知覚が減退しているとの診断を受けた。

原告は、平成二年一月二九日、神経縫合術を受け、同年二月七日、全抜糸をしたが、右手指のしびれ、知覚減退が残り、薬指・小指が鷲手の状態であつた。その後の原告の右手の状態は、知覚減退、無痛覚はみられたが(同月一四日)、鷲手は小指に残るだけとなり(同年三月一四日)、意識的な矯正が可能となつた(同年六月一三日)。しかし、原告の右手の尺骨神経は機能せず、重い本を持つて読もうとすると支えきれず、環指による作業がしずらい状態であつた(同日)。

原告は、平成二年九月一二日、同病院の川端医師から、同日症状が固定したとして、後遺障害について診断を受け、右尺骨神経麻痺により、握力低下、知覚鈍麻の自覚症状があり、環・小指が変形し、小指内転が不能であり、握力は右三二、左四四、ピンチ力右二・二、左六・八であり知覚鈍麻が特に環指尺骨側に強く、この状態はほぼ不変と思われるとの診断を受けた。

そして、同医師は、弁護士照会に対する回答において、尺骨神経の原因は、右手関節のやや近位の外傷瘢痕のある場所からその遠位方向、手根部までの間で部分的に連続を絶たれたため生じたものであり(なお、右尺骨神経麻痺と橈骨骨頭骨折、月状骨骨のう腫とは、因果関係がない。)、同尺骨神経麻痺の原因が本件事故であるとすれば、一般には外力を示唆する擦過傷や打撲があるのが自然であり、その場合、事故直後から神経麻痺症状があることが普通であるが受傷直後には気付かないこともあり、原告に既往症があるとしてもそれだけに起因するとは考え難いが、既往症に打撲等が加えられたことにより尺骨神経の損傷部分が増悪して症状が生じたという可能性はある旨、述べている。

なお、原告は、右診断を受けて、自賠責保険の認定手続において、自算会から、自賠法施行令二条別表の後遺障害等級一二級に該当するとの認定を受けている。

2  原告の受傷・後遺障害と本件事故との因果関係

被告らは、原告の受傷・後遺障害と本件事故との因果関係に関し、原告の被告車との衝突の際右手を伸ばして防ごうとしたとの供述は不自然であり信用できず、原告には既往症が存在するところ原告の尺骨神経麻痺は正にその瘢痕部分の尺骨神経の損傷から生じており、原告の同神経麻痺は主に平成二年一月二九日の手術後に生じたものであることなどから、本件事故と尺骨神経麻痺とは因果関係がないと主張する。

そこで右の点につき検討すると、原告は、昭和六三年一〇月一一日、本件事故に遭つて後、救急車で明石病院に入院したが、全身打撲、両下肢擦過傷・挫創、右橈骨頭剥離骨折との診断を受け、右膝に多量の出血、膝・右肩に疼痛があり、歩行不能の状態であり、右肘の屈曲伸展もできなかつたのであり、同月一三日、刀根山病院に転院した後も、原告の状態は、右上腕に強度の疼痛、左頸部、右肩、右下肢全体等にも疼痛があるという状態であつたのであるから、このような状況下で右手指に関し主訴がなかつたとしても不自然とはいえない。

そして、明石病院で包帯交換した部位に、右第三指、同四指が含まれていること、刀根山病院においての原告の右示指が、爪が根を残したままほとんど剥がれており出血はないが痛みがあるという状態であつたこと、原告は、その後、同月一四日には、腕・右肩痛と右手指を動かすと上腕がひきつる感じが生じ、同月一六日には、右手指に軽度のしびれ感が生じ、その後、断続的に、右手指に軽度のしびれがみられたこと、原告は、同病院を退院後、同病院に通院し治療中、右手でこねる動作をする時や前腕の前回外運動時等に痛みが生じ、平成二年五月一九日、同病院への通院を再開後、尺骨神経麻痺との診断を受けたことを総合考慮すると、原告は、本件事故時、前記認定のとおり、右腕を伸ばして被告車との衝突を避けようとしたことにより、右手を負傷し、このことが右尺骨神経麻痺の原因となつたものと認めるのが相当であり、右認定に反する証拠はない。

他方、乙第三二号証、同第三四号証の一、二、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、幼年時、ガラスで右手首を切り、尺骨神経を損傷したという既往歴があることは認められるが、原告は、中学時代からサツカー部で部活動をし始め、ゴールキーパー等をしていたこと、大学入試に当たつては、手先の器用さが要求される歯学部を選択していること(原告本人尋問調書二八ないし三一項)等に照らし、右手小指が内転しにくいとの障害は小学校高学年で完全に回復し、冬季、長時間右手を使うと右掌の血行が悪くなり違和感を覚えるとの障害は高校時代に回復し、いずれも本件事故から一〇年以上前には回復していたという原告本人の主張は根拠があるものと認められ、右認定に反する証拠はない。

したがつて、被告の前記主張は失当であり、採用しない。

3  原告の後遺障害の程度

甲第一九号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故当時、大阪大学歯学部の学生であり、平成三年六月から大阪府枚方市の本多歯科において勤務医として就労しており、平成九年四月ころから歯科医として独立し開業する予定であることが認められる。

前記認定のとおり、原告には、本件事故により、右尺骨神経麻痺により、握力低下、環・小指が変形し、小指内転が不能であり、握力は右三二、左四四、ピンチ力右二・二、左六・八であり知覚鈍麻が特に環指尺骨側に強く残す後遺障害を生じており、自賠責保険の認定手続において、自算会から、自賠法施行令二条別表の後遺障害等級一二級に該当するとの認定を受けている。

右認定事実に加え、労働省労働基準局長通牒(昭和三二年七月二日基発第五五一号)に基づき、労災補償実務において、労働能力喪失率表一二級相当の労働能力喪失率が一四パーセントとして取り扱われているのは当裁判所にとつて顕著な事実であること、原告は、本件事故当時、大阪大学歯学部に在学しており、平成三年六月から大阪府内において歯科医師として就労していること、前記障害が歯科医師としての歯の施術に相当な支障していることは容易に推認し得ることなどを考慮すると、原告は、前記後遺障害により労働能力を一四パーセント喪失したものと認めるのが相当である。

そして、一般に神経の損傷は回復が困難である反面、前記尺骨神経損傷は、前記後遺障害の状況(小指内転が不能、知覚鈍麻等)に照らし神経が完全に切断し再生・機能回復不能の状態にまでは至つていないこと、原告の幼年時代の尺骨神経損傷による障害も小学校高学年(ないし高校時代)には回復していること、喪失した労働能力は、その後の身体的障害に対する慣れ、経験と努力により次第に回復していく可能性があることなどを考慮すると、原告の労働能力喪失期間は、平成二年九月一二日の症状固定後一〇年間と認めるのが相当である。

三  損害

後掲の各証拠及び原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

1  後遺障害逸失利益(主張額五四五一万二三八九円)九七九万五四二八円

前記認定のとおり、原告は、症状が固定した平成二年九月一二日以降、一〇年間にわたり、本件事故によりその労働能力の一四パーセントを喪失したところ、原告は、平成三年六月から大阪府枚方市の医療法人本多歯科に勤務し、年収四九五万円の収入を得ているが、平成九年三月には独立し、開業する予定であることが認められ(甲第九号証、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨)、また、甲第一〇号証によれば、中央社会保険医療協議会が平成元年六月に実施した歯科診療所の月収の全国平均は、一七五万〇〇八二円(年収に換算すると、二一〇〇万九八四円)であることが認められるから、原告は、平成九年四月以降、少なくとも右同額の収入を得ることができたものと推認される。

したがつて、以上の認定事実をもとに、ホフマン方式を採用して中間利息を控除し、原告の後遺障害による逸失利益の本件事故時の現価を算定すると、次の算式のとおり九七九万五四二八円となる(一円未満切り捨て、以下同じ)。

(平成三年六月から平成九年三月までの六九か月間)

4950000÷12×0.14×(84.1505-29.9804)=3128323

(平成九年四月から平成一二年九月までの四一か月間)

1750082×0.14×(111.3619-84.1505)=6667105

2  慰謝料(主張額五八〇万円) 二四〇万円

本件事故の態様、原告の受傷内容とその後の昭和六三年一〇月一一日から平成二年九月一二日までの治療経過(入院二六日間、実通院日数二六日)、前記後遺障害の内容・程度、歯科医としての職業、年齢等、本件に現れた諸事情を考慮すると、慰藉料としては、二四〇万円が相当と認められる。

(以上合計一二一九万五四二八円)

四  損益相殺及び弁護士費用

(一)  本件事故により生じた損害に関し、次のとおり合計三七七万円の支払いがなされたことは当事者間に争いがない。

(1) 自賠責保険からの治療費への支払い 八二万〇八一〇円

(2) 同保険からの後遺障害損害への支払い 二一七万円

(3) 同保険からのその他の支払い 三七万九一九〇円

(4) 被告らの原告に対する支払い 四〇万円

このうち、(1)の治療費は、原告の請求額にふくまれておらず、過失相殺をすることが相当ではない本件においては過失相殺対象額にも該当しないから損益相殺の対象とはならない。したがつて、前記損害合計一二一九万五四二八円から、右(2)ないし(4)の合計額である二九四万九一九〇円を控除すると、残額は、九二四万六二三八円となる。

(二)  本件の事案の内容、審理経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としての損害は九二万円が相当と認める。

前記損害合計九二四万六二三八円に右九二万円を加えると、損害合計は一〇一六万六二三八円となる。

五  まとめ

以上の次第で、原告の被告らに対する請求は、一〇一六万六二三八円及びこれに対する本訴状送達の翌日である平成三年一〇月一〇日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅廷損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれらを認容し、その余はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 大沼洋一)

別紙 <省略>

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